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2011年3月19日 (土)

Get over 3・11

東日本大震災の発生から一週間が過ぎました。本当に長い長い一週間でした。

ピンズについて書く気にはまだなれませんが、何か発信しないといけない気がします。

それはエール、そう人を励ます言葉です。それは自身に対しての言葉でもあります。

ただ、一万人超とされる犠牲者の方々については語る言葉が見つかりません。

そして多くの被災者の方々が避難所などで最低限の生活を強いられています。

福島第一原発の問題では地元にお住まいの方々の苦境、苦悩は想像を絶します。

身を挺して事態の収拾に当たる自衛隊等々、現場の方々には心から頭が下がります。

私も会社で顧客の緊急対応の日々でしたが、出来る事の小ささを痛感しました。

ただそれでも、今私にできることをやって何とか踏ん張らなくてはいけません。

ところで、世界中の国々から続々と日本への援助、祈りが届いています。

言葉や人種、文化を超えて、日本とは不幸な歴史を持っている国からですら…

日本人はこのことを決して忘れないでしょう。いや、人として忘れてはいけません。

同時に今回の震災における日本人の道徳的態度に賞賛が寄せられています。

緊急時にあっても略奪や不道徳な行為が非常に少ないというこの国民性。

例え被災されて苦しい状況の中でも他人を気遣い思いやるその姿にです。

あるテレビの取材で年老いた被災者の方が無事を遠くの家族に報告して最後に

「すいません」と言われたのです。

命からがら辿り着いた厳寒の避難所で老身に毛布を一枚だけまといつつ、

逆に心配をかけてすまないと気遣うその心、その一言。

その姿に私は恐らく人生初めてだという程に、しばし慟哭してしましました。

そして思い浮かべたのは「愛」ということばです。そう、無償の愛。

無償の愛とは通常キリスト教で神の人間に対する「愛」を指します。

私は神仏は信じていませんが、人間にもこれは必ずあるのだと思います。

そういえば、「愛」について感銘を受けたフレーズというか文章があります。

キリスト教信者ではありませんが、聖書の「コリント人への第一の手紙13章」です。

下記一部意訳も混じりますが、考え方としてとても意味深い文章です。

「たとえ人々の異言や天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ私は騒がしいどらや、やかましいシンバルの類と同じです。
たとえ預言する才能を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しいと言えます。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、称賛を受ける為に自分の身を引き渡しても、愛がなければ私に何の益もありません。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。愛はねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真理を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びません。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れるでしょう。
それは私たちの知識は一部分でしかなく、預言も一部分でしかないからです。
完全なものが現れたときには、部分的なものは廃れます。
幼子だったとき、私は幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていました。だが今や私は大人となり、幼子であった頃のやり方を棄てました。
私たちは今、鏡に映ったぼんやりとした像を見ています。だがその時が来れば、私たちは真の像と正面から対峙することになるでしょう。
私の知るところは、今は一部分にすぎません。しかしその時には、私が完全に知られるように、完全に知ることになるでしょう。
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残ります。
その中で最も大いなるものは、愛なのです。」

全ての人に愛を。そしてこの惨禍を乗り越える力を。その先に限りない幸せを。

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