ピンズと振り返るオリンピック "Back to the 1968"
1968年に開催されたメキシコシティオリンピック。まだ私は生まれていません。
海抜2240メールという非常に高い標高に位置するメキシコシティで開催されました。
そのためトラック・跳躍競技での世界記録が量産された大会でもありました。
東西ドイツ別々の参加、北朝鮮の不参加など、冷戦の影が五輪にも忍び寄ります。
この大会では日本は金11、銀7、銅7の計25個のメダルを獲得しました。
男子体操では団体3連覇、レスリングでは個人種目で4つの金メダルです。
Games of the XIX Olympiad, Mexico City 1968 "AEROFLOT"飛行機とオリンピックは切っても切れない関係にあると言えます。世界中から開催地に集う選手・関係者、そして観客の多くは飛行機を利用します。
ですから、IOCや各国のNOCは特定の航空会社とスポンサー契約しています。
アエロフロートはロシア最大の航空会社、いわゆる「フラッグ・キャリア」です。
この頃はまだソ連でしたが、このピンズはそのアエロフロートが作成したものです。
共産圏はある意味「バッジ」社会と言えます。その意味これも「らしい」バッジです。
デザインの多様性、工夫などでは確かに現在のものに軍配が上がるでしょう。
しかし、その機能という点では今も昔も変わりありません。
逆に古いものはシンプルが故に、徽章としての魅力がダイレクトに伝わってきます。
「古きを温ねて新しきを知る」…ピンズを通じてそれが出来たら素晴らしいですよね。
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